18歳のモーツアルトが円熟した完成度の高い2曲の交響曲を産み出した。一つは「小ト短調」と呼ばれるおなじみ第25番、もう一つがこの第29番だ。いかにも繊細、優美な曲である。
第1楽章の走るような第1主題、穏やかな第2主題、それでいて優雅。オケはこれをあっさりと演奏した感じだが、逆に心地よい安らぎを感じさせた。
第2楽章は、二つの主題があるソナタ形式らしいが、光と陰のある部分を強調して欲しかった。ただ私の偏見か、このような滑らかな演奏がいいのかもしれない。第3楽章のメヌエットでは、リズミックな響きから、中間部(トリオ)の叙情性への表現がうまいと感じた。フィナーレ(第4楽章)は、なだらかな部分があるものの、全体に躍動感あふれていた。これをサラリと片付けた感じだが、それていて印象に残るのはモーツァルトの音楽だからだろう。
さて金聖響の<モツレク>。どんな細工を施すのか期待したが、意外にオーソドックス。全体に古典の対位法的書法や後のロマン派の和声も含み、見事としか言えない音楽であろう。補作したというジェスマイヤーの曲とはどうしても思えない。子息・クサヴァーの曲は聴いたことがあるが、ジェスマイヤー作曲は聴いたことがない。それだけ凡庸な作曲家だったのだろう。この曲の完成予定はモーツァルト死の1年後になっていることから、ジェスマイヤーに充分な指示を与えていたのではないか?
さてオケと合唱は、モツレクらしい冷静さを保っていたが、ソロで目立っていたのはバリトンの青山貴だった。その<1>曲目イントロイトゥス(入祭文)では、生への諦念と、それに反逆する激しさが混じっていたのをやや平板に表現していた。
<2>キリエ(求憐唱)では、フーガによって優雅な憂いをかもし出した。
<3>セクエンツィア(続唱)の第1曲「怒りの日」では、オケも合唱もffでもっと激しく演奏しても良かったのではないか? 「不思議なラッパの音」の後の「みいつの大王」でも、やや平板な演奏。もっと恐ろしさを出してもいい。さらに「慈悲深きイエズス」「判決を受けた呪われた者は」と続き、この作品のクライマックス「涙の日よ」(ラクリモサ)へ。モーツァルト自身が8小節まで書いた、とされる曲。ロマンと諦念と不安を大胆な和声法と半音階的手法が、静かな感動を感じさせた。
<4>オッフェルトリウム(奉献唱)<5>サンクトウス(聖なるかな)<6>ベネディクトウス(祝せられますように)<7>アニュス・ディ(神の子羊)<8>コンムニオ(聖体拝領唱)と続く。これらはジェスマイヤーの手が入っているとされるが、オケ(金聖響)の安定した演奏ぶりが、それを感じさせなかった。
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